蜃気楼になった摩天楼

 そのビルに行くにはタクシーが要った。日曜日の夕方とあって、あいにく少ないタクシーは買い物を済ませた客でふさがっていて、なかなか空車が来ない。
待つより空車を探そうと少し歩くと、駐車して車体を洗っているタクシーを見つけることができた。助手席に小さな女の子を乗せていた。イタリア系の移民らしい。「娘さん?」と聞くと「そうだ」とはにかむように答えた。子供づれで仕事をしているのかと思い、目的地のビルの名を告げた。少し待ってくれ、と言われ、洗車が済むのを待って車に乗り込んだ。

 

  彼は運転しながら、傍らの子供に、行きかうビル、川辺の対岸にある特徴あるビルを指差しながら、「あれは何?」「これは?」と聞き、小さなお嬢さんが一生懸命に答えている。まだ5歳くらいでとても可愛い。「違う、それはあのビルで、これは**だよ」と優しくパパが教えている。社会科の勉強みたいだ。そのうちに彼が話しかけてきた。「実は今日はオフなんです。娘にニューヨークの街を見せようと連れてきて、さっき帰ろうとしていたんです」「あなたが車がなくて困っているようなので走っていますが、休みだったのです」丁重な話し方だった。「大変申し訳ない」「でもこうやってあなたと子供との会話を聞けて家族のようで楽しい経験ができた」と答えた。「ここです」車は目的地で停まった。精一杯のチップを上乗せして、娘さんに何か買ってやってください、と言って気持ちよく降りたのだった。

 

 そのビルは、ニューヨークで一番高いところにバーがある。最上階で標高は400メートルを超える。階数などうろ覚えで心許ないが、とにかく超高層に上がるエレベーターを探し、最上階までずいぶん乗っていた気がする。
降りるとお洒落なロビーがあり、ハドソン河の先に小さく「自由の女神」像が見えた。バーは反対側のカウンターだった。
時間は5時。1時間をバーで過ごすつもりでハイスツールに座ると、右側の2席目に20ドル紙幣が置いてある。一瞬怪訝な気がした。「びっくりカメラ」の撮影かもしれないと思った。いい気になって紙幣に手を伸ばすと、紙幣に糸が付いていてスッと下げられるのではないか。凝視したが、糸や紐はない。


周りを見渡すと、反対側のテーブル席に女性客3人が話しに夢中になっているだけ。誰かが仕掛けたわけではなさそうだ。ソッと手に取った。正真正銘の20ドル札だ。こりゃラッキー。ここの支払いにしよう、と旅のお駄賃にした(スミマセン)。

 

  バーテンダーは気が乗らない様子で女性ウェーターと話しこんでいた。初めて来たマンハッタン。この林立する超高層ビルを眼下に眺めながらの酒は『マンハッタン』に優るものはない。それもバーボンベースで。いずれも日本人に発音しづらいが、臆せず頼むとバーテンダーがきっちり身を正し、カクテルグラスに期待通りの液体を満たした。しばらく沈黙していたが、カクテルの注文の種類などを尋ねるうちにバーテンダーも打ち解けてきて、「ハドソン河に最近大きなビニール袋の中に注射針などが捨てられた袋が見つかったらしい」「最近そんなことが多い」と言った。エイズという言葉がまだ一部でしか使われていなかった頃だ。知りえる知識で、エイズ感染のことを話した。
バーテンダーは、最近ニューヨークの天気が変だけれど、サンフランシスコがおかしい。妙な天候続きで、何か不気味だと友達と話している、と言った。彼の予想は当たった。その3週間後にサンフランシスコで大地震が発生した。

 

 2杯目は店のオリジナルカクテルを作ってもらった。この時分にはバーテンダーと親しくなっていて、1時間があっという間に過ぎた。待ち合わせの知人が来たので、隣り合わせたレストランで食事をするために、彼にチェックを頼んだ。14.5ドル。先ほどの20ドルが活躍する場面だ。20ドル紙幣を彼に渡し「keep changes」と言うと、彼の表情がにこやかになって、「thank you, sir」。そして隣のテーブルにカクテルを運んでくれると言う。席は?と言うので、昨日の予約なので窓側がとれず奥のほうらしいと言うと、「任せてくれ」と言って、レストランマネージャーに「私の大切なお客なのだ」と話して、なんと一気に、取れないはずの絶好な眺めの窓際席を用意させたのだった。知人達はきょとんとしていた。私は、これは先ほどのドライバーの恩返しだな、と思った。

 

  このような予想外で愉快な出来事が、素晴らしい摩天楼の眺めと楽しい記憶が刻まれた世界貿易センタービルが、崩落した。2001年9月11日。
世界の各地で酒を飲んだが、世界最高地のバーの経験は蜃気楼だったのか、歴史から一瞬に消滅した。ロビーからその夜遠望した、黄色く灯された小さな「自由の女神」像が忘れられない。

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